深刻な心の問題を抱えている人にカウンセリングが必要な理由
1970年代後半、私は高校生だったのですが、対人緊張が強いことが悩みで、東京正生学院という心の問題をあつかう施設に夏休みの三週間入寮していたことがあります。対人恐怖、視線恐怖、赤面恐怖、乗り物恐怖、きつ音などの悩みをもった人たちが集まっていました。
東京正生学院は、梅田薫という人が自身の神経症体験から創設したもので丹田呼吸法という腹式呼吸と大勢の人がいる前でのスピーチの練習をメインにした療法を行っていました。
当時はPTSDだとかパニック障害とかいう言葉はなくて、~神経症~恐怖症といった言い方をしていました。不安神経症とか心臓神経症とか呼ばれていたものの中でも薬がよく効く一群があることがその頃から知られており、それが今パニック障害と呼ばれているようです。名称が変わっても、実質的には同じ心の問題ということなのですが、それでもやはり心の問題は時代背景や社会背景の影響を受けるものだと思います。
梅田先生が生まれた明治時代は、身分による差別がなくなり、西洋の技術や個人主義の影響を受けて日本社会が大きく変わった時期で、その中でいかに生きるかという心の悩みをもつ人が多かったようです。夏目漱石の小説もそのあたりをテーマにしたものが多いわけです。
大正時代は関東大震災があったものの、大きな戦争はなく比較的平穏な時代でした。そのようなときこそ、心の問題が表面化するようで、当時は神経衰弱という言葉がよく使われました。昭和初期になり、世の中全体に不穏な空気がたちこめ、戦争が始まると心の問題どころではなくなるのですが、それが根本的に解決したわけではなくて、心の深いところに押しこめられてしまうのです。
そして、太平洋戦争とその後の混乱が終わるとまた心の問題が次第に表面化してきます。1970年代、80年代は高度成長経済、そして、バブル経済といった流れの中にありました。その頃は社会の中で頑張れば結果は出せるというような風潮がありました。結果が出せないとしたらそれは自分のせいだということで、自分を責めてうつになってしまうわけです。しかし、90年代以降のバブル崩壊の後は、いくら頑張っても派遣のまま、給料が上がらない、出世できないということで、自分は悪くない、社会が悪いんだということで気分が落ち込む人が増えて、そういう人たちの病理を新型うつという言葉に当てはめているのです。
また、生活が豊かになった70年代ぐらいからすでに引きこもりの若者がいて、彼らは本当に社会から隔絶されて浦島太郎状態になってしまっていたわけですが、IT社会となった今の時代は、引きこもっていてもパソコン・スマホを通していろいろな情報が入ってくるので、社会的なスキルを学ぶことができるわけです。ですから、5年10年引きこもっていても何かきっかけをつかむと急にやり手の営業マンになったりする場合もあるようです。
そのように社会や世相から心の問題を紐解くのも時には意味のあることですが、それにしてもやはり、個別性ということを重んじる必要があるでしょう。心の問題は一人一人違うということです。うつといってもその原因は人それぞれですし、引きこもりの背景にあるものも多種多様なのです。そしてまた時代或いは地域を超えたより根本的な共通性というものも重要です。短いフレーズでいえば、心の問題の根底にあるのは死に対する恐怖です。これは人類共通のものです。
カウンセリングは、個別性と普遍的な共通性、さらにそれらに社会的な背景も加味して多角的に行うものなのです。