昨晩タモリがストーリーテラー役の「世にも奇妙な物語」を見ました。1990年に始まり24年目になる長寿番組です。当初は予定されていた番組が立ち消えになったために急遽穴埋めというかたちでゴールデンタイムに放送されたようですが、それ以降安定した視聴率をとるようになります。今はレギュラー放送はしていないものの、秋と春の特別編というかたちで存続しています。
「世にも奇妙な物語」はオムニバス形式でいくつかの短編が組み合わさっていますが、得体の知れない恐怖にとりつかれ追い詰められていくという話が今回もありました。不思議な偶然が重なり、現実的にはありえないような不条理な世界に引き込まれてしまうという話です。私たちは日常では合理的に考えることに慣れてはいるものの、心の中に何か割り切れない不条理な部分をもっているものです。昔の妖怪の話や怪談の類もやはりそのような人間の心から出てきているものなのでしょう。
現代社会においては不条理な囚われは強迫性障害というかたちで表出することが多いものです。外出時に家の戸締りを一時間以上かけて何度も確認するとか、帰宅時に手にばい菌がたくさんついているのではないかと不安になり何十回も手を洗うとかいうようなものです。本人も馬鹿らしいと思いつつもどうしても止められない。薬を飲めばある程度は症状はおさまるかもしれませんが、根本的な解決にはならないのです。ストレスがかかる状況に再度さらされると今度はパニック障害やうつなど別の心の病になってしまうケースが多いものです。「世にも奇妙な物語」と同じように一つのストーリーが終わってもまた別のストーリーが始まり、やはりまた不条理な世界にはまってしまうのです。
強迫性障害の人は「~しなければならない」という罪悪感に縛られていて、その人らしい生き方ができていないものです。その罪悪感は、生育歴の中で当人を支配してきた人が植え付けたものであることが多いのです。他人からの負のメッセージによって、当人の本心が覆い隠されているのです。カウンセリングにおいては、まずトラウマ治療をすることで罪悪感を消し去り、さらに本当にやりたいことは何なのかということを見つける作業が必要なのです。本当にやりたいことを見つけて、それに没頭できれば、不条理なものに囚われる必要はなくなります。
「世にも奇妙な物語」以上に「笑っていいとも!」は長寿番組でした。タモリという人は本当にやりたいことをやってきた人なのでしょう。
深刻な心の問題を抱えている人にカウンセリングが必要な理由
1970年代後半、私は高校生だったのですが、対人緊張が強いことが悩みで、東京正生学院という心の問題をあつかう施設に夏休みの三週間入寮していたことがあります。対人恐怖、視線恐怖、赤面恐怖、乗り物恐怖、きつ音などの悩みをもった人たちが集まっていました。
東京正生学院は、梅田薫という人が自身の神経症体験から創設したもので丹田呼吸法という腹式呼吸と大勢の人がいる前でのスピーチの練習をメインにした療法を行っていました。
当時はPTSDだとかパニック障害とかいう言葉はなくて、~神経症~恐怖症といった言い方をしていました。不安神経症とか心臓神経症とか呼ばれていたものの中でも薬がよく効く一群があることがその頃から知られており、それが今パニック障害と呼ばれているようです。名称が変わっても、実質的には同じ心の問題ということなのですが、それでもやはり心の問題は時代背景や社会背景の影響を受けるものだと思います。
梅田先生が生まれた明治時代は、身分による差別がなくなり、西洋の技術や個人主義の影響を受けて日本社会が大きく変わった時期で、その中でいかに生きるかという心の悩みをもつ人が多かったようです。夏目漱石の小説もそのあたりをテーマにしたものが多いわけです。
大正時代は関東大震災があったものの、大きな戦争はなく比較的平穏な時代でした。そのようなときこそ、心の問題が表面化するようで、当時は神経衰弱という言葉がよく使われました。昭和初期になり、世の中全体に不穏な空気がたちこめ、戦争が始まると心の問題どころではなくなるのですが、それが根本的に解決したわけではなくて、心の深いところに押しこめられてしまうのです。
そして、太平洋戦争とその後の混乱が終わるとまた心の問題が次第に表面化してきます。1970年代、80年代は高度成長経済、そして、バブル経済といった流れの中にありました。その頃は社会の中で頑張れば結果は出せるというような風潮がありました。結果が出せないとしたらそれは自分のせいだということで、自分を責めてうつになってしまうわけです。しかし、90年代以降のバブル崩壊の後は、いくら頑張っても派遣のまま、給料が上がらない、出世できないということで、自分は悪くない、社会が悪いんだということで気分が落ち込む人が増えて、そういう人たちの病理を新型うつという言葉に当てはめているのです。
また、生活が豊かになった70年代ぐらいからすでに引きこもりの若者がいて、彼らは本当に社会から隔絶されて浦島太郎状態になってしまっていたわけですが、IT社会となった今の時代は、引きこもっていてもパソコン・スマホを通していろいろな情報が入ってくるので、社会的なスキルを学ぶことができるわけです。ですから、5年10年引きこもっていても何かきっかけをつかむと急にやり手の営業マンになったりする場合もあるようです。
そのように社会や世相から心の問題を紐解くのも時には意味のあることですが、それにしてもやはり、個別性ということを重んじる必要があるでしょう。心の問題は一人一人違うということです。うつといってもその原因は人それぞれですし、引きこもりの背景にあるものも多種多様なのです。そしてまた時代或いは地域を超えたより根本的な共通性というものも重要です。短いフレーズでいえば、心の問題の根底にあるのは死に対する恐怖です。これは人類共通のものです。
カウンセリングは、個別性と普遍的な共通性、さらにそれらに社会的な背景も加味して多角的に行うものなのです。